烏川女子学生水難事故
4月20日、烏川水難事故の慰霊祭が、穂高墓地公園内の哀悼碑の前で行われました。地元の宗徳寺のご住職の呼び掛けで毎年行われています。
事故は明治45年4月24日に起こりました。当時の東穂高尋常小学校の女子生徒4人が、遠足帰りの自由解散後に近道をしようとして烏川に流され亡くなりました。前日の雨や雪解け水で増水していたためでした。
事故後20年の昭和7年に建立された当時の文部大臣鳩山一郎の揮毫の哀悼碑です。
小学生が宗徳寺から穂高墓地公園までの2キロ以上の道のりをゴミ拾いをしながら歩きました。慰霊祭では、お経があげられ、哀悼歌が捧げられました。昭和7年に望月国俊町長が書いた哀悼詩に、長瀬博先生が曲をつけた哀悼歌を長瀬先生が歌い、私もフルートで演奏させていただきました。
身近な場所で起こった悲しい水難事故の記憶と教訓を忘れぬよう、後世に伝えていかなければならないと思います。