小林農園の日々

穂高神社霊社御霊祭り

73回目の終戦記念日。今年も穂高神社霊社で戦没者を慰霊する御霊(みたま)祭りが行われ、その後、遠州三ケ日手筒花火保存会の方々による迫力の手筒花火が打ち上げられました。

直会(なおらい)で伺った遺族会の方のお話。

穂高では戦争遺児は数人しかいない、普通の戦争で遺族というのは親と兄弟を指すからだ。真珠湾攻撃前の昭和16年6月に父親が招集された、それは太平洋戦争が始まる時点で既に若い兵隊が不足していたことを意味している。やってはいけない戦争だったのだ。戦後父親の遺骨が帰ってきて母親と県庁に取りに行ったときに、9歳の自分が遺骨の入った箱を首から下げて電車に乗ったが誰も席を譲ってくれず満員電車の中立っていた。負け戦はそんなもんだよ。自分の家は田んぼがあったから、米を作ってお蚕をやったから困らなかったがね。

戦争の悲惨さを忘れてはいけない。言うのは簡単ですが、戦争を知らない世代が、戦争経験者の話をしっかりと受け止めていくことが、二度と同じ過ちを繰り返さないために必要なことだと思います。